シンポジウム・レビュー

2021年にサイトの引っ越しをしている際に見つかった資料です。当時、研究会サイトの管理人も請け負っておられた仁木さんによるレビューです。掲載に問題あればご連絡ください。(花家)

仁木智保子

「高等教育」(higher education)すなわち大学・短大あるいは専門学校などの場において、専門的かつ高度な演劇の学びはどのように実現されているのか、あるいはどのよ うな問題をかかえているのか? 3人の先生をお招きし、現場のナマの報告をもとにしながら、その手がかりを探った。
 まだ十分な報告ではないが、そのあらましをまとめてみた。

配布資料「大学における演劇教育の現状と課題について
 -わたしの演技教育の場合-」より
(1) 日大芸術学部演劇学科のシステム-入学から卒業まで-
(2) 今どきの学生たち
 1. 意識改革から
 2. 問題はどこにあるのか
(3) わたしの授業
 1.『俳優修行』のこと
 2. コミュニケーション
 3. パイプ椅子のレッスン
 4. メソード演技
 5. アニマルエクササイズ
(4) 今後の課題

日芸演劇学科の今どきの生徒(特に1年生を重点的に)のモラルの問題例えば授業態度(授業中に携帯電話のベルが鳴る、講義中のおしゃべりetc。)いわ ゆる「世間のルール」からかけ離れているという現状があり、それゆえに授業では「対人関係づくり」からやっていかねばならない。また、生徒の中には「演技 コースに入ると俳優になれる」という思い込みがあるようで、「演劇」の根本となるところを生徒にも考えさせる必要があるのではないか。また学校側の教育方 法も形式的・保守的になってきているのではないだろうか。そこには教師と生徒とのコミュ二ケーションのあり方も問われてくる。
 そこで藤崎師が受け持たれている1年生の演技演習の授業方法が紹介されながら、「演劇」とは、「演技」とは何かということを問いつつ、今後の課題を探っていった。
 質疑応答ではやはり「カリキュラム」の問題性が指摘された。その火種は文部省にまで及ぶ。また、参加された各学校の先生方からも、「我々はこうだ。」と いう現状報告もあり、各々の学校によってかなりの差もあることが浮き彫りになったようだ。まだまだお互いの教育機関の経験値が共有されていないようであ る。

■報告者2■ 菊川徳之助(近畿大学文芸学部)
 近畿大学における演劇は「演劇専攻」として、その学びの場があるが、「文学部であって芸術学部ではない。」よって何より「設備が不備」であるという前提から報告がなされた。
 現状の問題としては、まず教師。いわゆる演劇教育専門の人がおらず、どうしても演出家や劇作家という人を現場から教師として招かざるを得ない.その結果 授業内容もその教師個々人の個性・専門性に任されることになる。そして学生。そもそも「俳優になりたい(あるいは演劇専門家になりたい)」と希望して学校 に入ってくる学生ばかりではない。すなわち「大学ではじめて演劇をする」という学生がほとんどだという。また高校演劇部での悪弊が合否のうちの否になって いるという現状。菊川氏はこうした状況の背景には高校以下で「演劇教育」がないからだと主張される。その他現実問題として、授業時間内では収まらない、学 生の目的意識にばらつきがあるため、どこに向かって教育していくかが難しい、卒業後の進路が不安定などなど、厳しい現状がうかがえた。
 近大に場合、実質、演技・舞踊その他舞台技術・美術等すべてやるのが主流だそうだ。が今年から「演技コース」と「劇作理論コース」の制度をひくそうだ。「学生の熱心さに落差があり授業がアンバランス。クラス分けが必要か?」と課題を提示された。
 また、一般の大学にも「演劇」の授業がおかれ、効果ある授業展開ができるようになればと展望を語られた。

■報告者3■ 原孝(劇団東演)
 劇団東演は、故八田元夫と故下村正夫により1959年にスタニスラフスキー・システムの研究・実践を目的に創立。その今日に至るまでの変遷が語られる。 その劇団東演俳優養成所は今日、本科1年(月・水・金)、専科1年(火・木・土:但、資格は本科卒業生および他俳優養成所1年以上の経験者)のコースがし かれ、従来のスタニスラフスキー・システムからより踏み込んだ演技指導が行われている。
 原師の提示された現状の問題点は、やはりカリキュラムにあった。日にち・時間が限られ、たくさんのことはできない。発声・ダンス・演技基礎レッスン。限られた時間の中で「本当に必要なことは何なのか?」「俳優は育つのか?」という問題。
 一体俳優にとって一番大切なのは何なのだろう。それは「人間の肉体」である。そして俳優になくてはならない魂は集中力である。そのためにエチュードは徹底してかつ「厳しく」行う。俳優として育てるという目的の奥には、個々人の人間形成がある。俳優が俳優であるために。
 さて、ここでも学ぶ側についての問題がいくつか取り上げられた。殊に養成所の場合は(いや、俳優を目指したりなどする人は凡そそうなのかもしれないが) 自分主義の演技をしたり、指摘すれば言い返してくるなど、自己顕示欲が強い。また進路の方向を示したり、あるいは1年が経ち、生徒を次なる道へ送り出すの も苦しむ一つの問題。教える立場の悩ましい点がうかがい知れた。

〈総合ディスカッションで出された意見 etc〉
●結実に、どのような演劇教育の展開がみられるか。
●大学教育と専門教育の関係性
●教育制度見直し
● 先生同士のつながりの希薄性~お互い何をやっているのか(研究、活動、授業など)わかっていない状況(先生同士の話し合いも必要)
●「研究所(養成所)の演劇」と「大学の演劇」のちがい
●「出会いの場」「交流の場」をより多くもつ
● 公開授業の可能性
●学会は単に口頭発表にとどまらず、ワークショップ等実践的なものもあってよいのでは
●劇団が残っていけるのはマネージメントにあり。大学教育でそうした教育を
●外国の高等教育システムをみる
●高等教育機関のパートナーシップ性

〈シンポジウムをめぐって〉
私は日本演劇学会「演劇と教育」研究会への参加はこの度が初めてであった。シンポジウムのタイトルは「高等教育における演劇~現状と展望~」まさに私はそ の現状に身をおく演劇学科の学生であり、当然「問題」にされるであろう対象に属するものであるが、一学生として今回のシンポジウムをめぐって私見を書いて みた。
 「高等教育における演劇」とはいってもそれは多種多様な分野があるわけで、その教育のあり方を見直すにもいろいろなアプローチの仕方が考えられるだろう し,各々の専門教育機関の「教育目的」に応じた独自の方法があって然りだ。ところがこうして「議論」として取り上げられなければならない現状そこには高等 教育としての演劇の教育の行き詰まりがあることはこれまでにも論じられてきたことだろうが、それを行き詰まらせている要因の一つがやはり学生だろう。シン ポジウムの中でもこのことについては当然のごとく触れられた。
 学生である私があっさりと非を認めてしまうのはどうかと思ったが認めざるをえない現実がある。「何のために大学に来ているのか?」「何を学びたいの か?」いわゆる学生の目的意識が曖昧になってきている。いや、もちろん各々やりたい事はあるのだろうし、いろいろ模索したり、現に目的に向かって走ってい る人だっているだろう。しかし授業を疎かにするかなしい現実である。与えられた(しかもそもそも自ら選んだ)学びの場で学ぶことを拒むという学生の真意は いかなるものか。(大学重視でやってきた私にとっては、それは解しがたいものがある。ただ道を選ぶには随分と時間を要し、その結果研究も深めることができ なかったことを振り返れば自身も曖昧な学生である)
 そう考えてくると自ずと「カリキュラムや教育方法に問題がある」といきたくなってしまうが、これはまた今後の議論・展開に期待したい。ただこうしたテー マを考えるにあたっては同じく高等教育の場で演劇を学んでいる学生の声も聞いてみたい気がした。またより多くの先生方のご意見もうかがいたい。
 今回のシンポジウムは現状報告としては「俳優教育(養成)」の方向に偏っていたのではと感じるところもあった。いわゆる実践・表現のところの問題。もち ろん趣旨は単に「俳優として育てる」ことにあるのではないことは受け取ることができた。ただ私としては理論的研究の分野にももっと道が開けることを願いた い。
 「高等教育」ともなってくるともはや学び方は個々人の自由であろう。それゆえに手がかりはつかみにくいものになってしまっているのかもしれない。

(にき・ちほこ 日本大学芸術学部演劇学科理評コース)