研究総会“アフリカ特集”レヴュー

仁木智保子


今回の研究会では、あまり知られていないであろうアフリカにおける演劇と教育についての報告がお二方よりなされた。 「アフリカ」について取り上げられたのは本研究会史上初のことであろう。残念ながら参加者はいつもよりもいささか少なかった気もするが、話題はたいへん濃 いものだったようにおもう。[2001年3月18日、於:日本大学芸術学部]


■タンザニアの教育演劇(報告者:熊谷保宏)

 熊谷氏は1997年と2000年の2回にわたってアフリカに渡る。1997年にはケニアとタンザニア、2000年にはタンザニアを訪れ、いずれも氏にとっては非常に興味深い「演劇」体験を得られたそうだ。
 まずは1997年夏の演劇経験が語られた。ケニア・ナイロビ郊外のスラムの施設の一例。ストリート・チルドレンの収容施設、そこでは生活の保護、基礎教 育、職業訓練、進路指導等々がおこなわれているわけだが、職業訓練のひとつに「演劇」があるというのだ。実際、施設の広場や屋内の遊戯場のようなところで 常に演劇がおこなわれているという。つまり「生活の中心に演劇をおいている」というわけだ。そこでは日本の演劇教育においてよく言われるところの「ドラマ 的な」演劇というよりもむしろアクロバティックな演劇が多いという。アクロバット的な活動により、飢えや照りつける太陽に耐え忍び、縮こまってしまってい る子どもたちのからだを一気に目覚めさせると考えられているようだ。また、彼らのつくりあげる劇は、家庭の問題、路上に迷わざるをえなくなった問題、その 他諸々の問題など、そこに暮している人たちの多くがまさに体験してきた「現実」であるという。そうした活動に携わっている現地の人たちによれば「演劇的活 動ががなにより子どもをよみがえらせるのに効果を発揮する」という。(こうした施設でおこなわれる演劇の映像として、次の2000年タンザニア訪問時のも のが公開された。)

 続いて2000年9月・タンザニア・ンズグニ村での体験報告。2000年はタンザニアの選挙年にあたり、その選挙の準備の一環として「教育演劇プロジェ クト」が組まれ、いわば「選挙のための演劇」が行なわれた。これはンズグニ村と大学の共同プロジェクトで、その村の人たちから参加者をつのり、村のなかで の取材や調査、参加者どうしの綿密な話し合い等、何段階にも及ぶプロセスを経て、実際の「劇」のカタチにつくられていく。それはまさに、その土地に住む人 々たちからあがってくるさまざまな「こえ」をもとに劇化されたものである。本公演に至るまでおよそ30日間費やされたという。主催は大学であったり、社会 教育家であったりと公的な制度に依存してスタートするわけだが、かといって排他組織・官僚機構が一定の考えを押し付けてくるというわけではなく、あくまで も公的な機関は「場」を用意するだけで、基本的な方向づけは参加者で行っていくという。そうしてできあがったものは必要に応じて上演していくという。(こ ちらも現地で上演された劇の映像をみることができた。)
 と、ここではほんの一例だったけれども、総括的に言えば、いわゆる「開発のための演劇」(Theatre for Development)ということであった。(これについては熊谷氏じしんが論文を書かれているので、詳しくは後に記す論文を参照されたい。)
 
 報告は主に現地で取材された2つのビデオをみながら進められたが、たしかにわたしたちのイメージする「演劇」というものには遠く及ばないところもあるか もしれないけれども、実にリアルで、実に生々しい。「演劇」というカタチではあるが、そこであらわされているものは、まさに彼らの「現実」であり、ナマの 「こえ」なのだろう。

 たいへん貴重な映像をみることができた。

[資料]

  • 熊谷保宏「土着の演劇教育――タンザニアにおける開発演劇」(『日本大学芸術学部紀要』第27号、1998年)
  • 熊谷保宏・川上央「東アフリカにおけるパフォーミング・アーツの伝統と変容」(日本大学精神文化研究所紀要第31集、2000年)


ジンバブエにおける児童青少年演劇のことなど(報告者:香川良成)

 まず、ASSITEJ(アシテジ・国際児童青少年演劇協議会)の歴史的変遷を語られ、続いて1996年ジンバブエで開催されたアシテジの世界理事会に参加された時の体験を交えてお話された。
 アシテジは1965年フランスで結成、日本が参加したのは1979年5月であり、こんにちは約65カ国が参加している。そもそもアシテジが創立したとき には、ひとつの国に専門的な(それで食べている)劇団が3つなければならないというのが入会条件だった。ところが、その条件を満たすことができないアフリ カや南アメリカの国々は規約の改定を求め、90年代になって改められ、参加できるようになったという背景があるという。
 そのアシテジの理事会がジンバブエであり、ジンバブエ、ウガンダ、ザンビア、モザンビーク、タンザニア、ケニア、サウスアフリカ、マラウイ、ナミビア、 ボツワナ、スワジランド、モーリシャスという南部アフリカ12カ国が集まった。そこで行なわれた基調報告によると、地域特有の社会問題、母・父の関係、メ イド・使用人たちの環境、エイズなど個人の問題、自然環境の問題、経済的難民の問題、土地収用の問題等々いろんなトピックを教育としての演劇にも取り入れ ているという。そして教育システムの中で子どもたちが自分たちの意見を表現するチャンスが乏しいので、演劇を通して自分たちの意見を表現する場を与えてい くことが大事だとされている。
 実際香川氏は現地で演劇を観てこられた。例えばコミュニティに行ってやったもの、芸術大学でやったもの、中庭でやったもの等々。それに共通していること は、楽器を打ち鳴らし、歌を歌い、踊る。つまり立ってセリフを言い合う、対話するというよりもむしろ常に音楽にあわせ、カラダを動かして表現するというこ とだそうだ。いろいろな社会問題を音楽と踊りとマイム中心で表現していくというわけだ。氏じしんもこうした「演劇」経験ははじめてであり、そのことに興味 を抱かれたそうだ。*********

 両氏の報告は、実際の体験報告でもあり、たいへん生々しく、非常に興味深いものであった。参加者の中でも驚きと感嘆の声さえあがっていた。こうした未だ知られざる「演劇」を、もっともっと若い学生たちにも知ってほしいものだ。知っておくだけでもいいから。


おもったことなど

 「アフリカで演劇?」と誰もが口をそろえて言う――こう熊谷氏も指摘されていたが、およそほとんどの人がそうおもうことだろう。演劇研究者であっても、演劇を学ぶ学生であってもそれについて知っている人はわずかであり、興味を示す人も少なかろう。
 ところが演劇は「ある」のだ。しかも彼らの生活の一部として。
 たしかにそこではわたしたちが「演劇」ということばから連想する「演劇」がおこなわれているわけではない。わたしたちは少しおしゃれをし、お金を払っ て、「劇場」に入り、おとなしく席について「舞台」でおこなわれる芝居をみて、「演劇を観た」と満足する。いわゆる「戯曲」があり、劇場という名の空間の 一スペース=舞台で、演者によって行なわれるものを、「観客」という名の人々がみる――それを「演劇」と解釈することが当然のようになっているし、それこ そが「演劇」だという思い込みが我々の中にはある。学問・研究の上でも、伝統芸能における「演劇」、劇場芸術としての「演劇」という、いわば一種美化され た「演劇」にのみ、力が注がれる。なぜか――。
 いわゆるわたしたちの勝手な先入観から「演劇などあるわけない」とおもわれる地域にこそ、本当に「生きた」演劇があるのではないだろうか。今回の報告を聞きながらそんなことさえおもってしまった。
 この研究会でもそうだが、「演劇と教育」のことなどを考えるにあたっては何かと「西洋演劇と演劇教育」に傾きつつあるかとおもう。たしかに、それはわた したちのひとつの研究分野として避けては通れないものであるし、そこから得ることというのは大きい。だが、あまりおもてに出てこない、いやむしろおもてに 出されない、あるいは回避しているかもしれない「演劇と教育」云々のカタチがあることも事実なのだ。そしてそこにこそ、わたしたちがこれから考えてゆくべ き何らかのヒントがあるかもしれない。
 実に「知っておいて損はない」報告であった。


(にき ちほこ 日本大学大学院芸術学研究科舞台芸術専攻)