大学演劇の現在(岡安伸治)

2021年にサイトの引越しをしている際に見つかった資料です。掲載に問題あればご連絡ください。(花家))

■はじめに
 今日お話させていただくのは、桐朋学園のというよりも、どちらかというと私の抱えている問題だろうというぐあいにお考えくださればいいかなと思っており ます。今日話すところは『演劇人』2号にいろいろシンポジウムをしたり、他の方の提言などがたくさん載っております。俳優座養成所等がどうであったかとい うことなど、細かいデータがこれには全部載っているんですね。そういう意味で言えば、では桐朋はどうなんだというところの話をしたいと。問題はどういうと ころにあるのか、何がその現場で起こっているか、なぜうまくいかないのかということを、いろいろお話申し上げようかなと考えております。
 お配りした資料に『演劇科通信』という、これは演劇専攻で発行しているもので、試演会等々についてのいろいろな情報が載っております。それと『カレッジ ニュース』については、講師の先生方がどのように、どんなことをやっているか、もしくはどんな論文を書いているかということが全部出ております。それから どんなことを学生が学んでいるのかということも載っています。

■少子化問題
 それで、まずレジュメのほうに書いてあることで言いますと、まず少子化問題のことがあります。この12月の1・2・3日と仙台の方で短大の協会での研修 会がありまして出席しました。そのとき出たデータです。もう見ていただくとおわかりのように、18歳人口は昭和40年頃にはだいたい250万人、それで平 成の3年頃で206万人で、なんと平成21年には120万人まで下がるわけです。そこでの報告で単純に言いますと、短大のバランスシートはだいたい500 いないと健全な運営はできないと言われているわけです。そうするとこの規模の短大を想定した場合、単純に言うとこれから毎年40校ぐらいずつが閉校されて いくだろうというようなことが報告されてます。それは頭のすみに入れておいていただいて、地方の国立大学でも同じ運命で、要は国立大学のある地元の行政機 関が雇えなくなってきたわけですね。枠が増やせない。増やそうとするとUターンで優秀な学生が都会から戻って来て、試験結果でどんどんそちらをとっちゃ う。地元の学生がうからない。教育機関が受け入れできない、地元の企業体が受け入れができなくなったということがあって、一体この国立大学の存在は何だっ たんだということが起ってきているようです。
 それで桐朋学園で演劇科がおかれているのは短期大学部です。ですから短期大学として考えた場合にはこれと同じ状況なんですね。演劇やっているから倍率ど うのということではないんです。短期大学は、演劇科、音楽科、それと文科とあります。そうすると親船の上にコンテナ3つ並べたみたいなもので、つまり定員 割れをおこすと、親船が沈む。いくら上のコンテナがしっかりしていて、「おもしろいよ、あそこなかなかいいよ」といくら言われたところで沈んでしまうわけ です。それががまず現状としてあります。これが少子化問題、経営にかかわる問題です。

■修得期間
 次に、いつも議論になるんですけれども、修得期間。短大がいいのか、4年制がいいのか、大学院がいいのか、それとも養成所がいいのか、という議論です。 なんかここいらは感覚的な発言が多くて……。根拠があいまいなことがあります。例えば『カレッジニュース』のほうを見ていただきますと、木村利光さんとい うオペラ歌手のコメントが載っていますけれども、木村さんのご発言の中に「演奏家としての最初は30歳過ぎ」とありますが、声楽、オペラ関係でもこう言わ れているようですね。こんなふうに感覚的なものでしかないんですね。この2つ目のところ考えるには、1998年12月に芸団協というところから出た資料で す。
 これは実演家の方々にどのような課程で実演家になったのかというようなことへのアンケート結果です。要はここのところが一番大事なんですが、これは現在 各実演家として活躍されている方が、最初に収入があったのはいつ頃ですか……つまり生活ができるということではないんですね。いわゆる役者ならば役につい て何んらか収入があった、その最初の年はその道に入ってからどのくらいですかという問いなんです。例えば一番長いのは邦楽12年。10年ぐらい経ってもお 金いただけないんですね。三味線、お琴邦楽関係、やっぱり厳しい。それから伝統演劇ではだいたい9.6年ですね。それで洋舞その他演芸等もあるんですけれ ど、現代演劇は5.5年なんですね。この実演家たちの平均の年数はだいたい7.5年くらいかかっているということです。これから逆算してもだいたい生活と いうか、食えるようになったっていうのは木村さんのおっしゃっている30過ぎてというのは、ある程度分るわけですね。ということは少なくても7.5年、現 代演劇では5.5年ということを前提において、その手前の2年間をどうするか、4年間をどうするか、大学院も含めてどうするかということになってくるわけ です。
 このことから言いますと、私が実際2年ほど前に桐朋の卒業生を使って試みたことがあります。中途退学して劇団に入った人、演劇科2年間を出て少しやって いる人、それから専攻科を出てまだ1~2年ぐらいの人という3通りぐらいの人間を選んでキャスティングしてみたんです。そうしたら例えば途中で横滑りで劇 団へ行った者は、アルバイト等々でからだがすっかりかたくなっちゃった。これは困った。それから2年卒業したてもまだまだでした。専攻科を含め4年間学び その後1年半ぐらい経って、それも家から通ってて家のバックアップがあってバレエなんかのレッスンに通っていた子はこちらの要求に対して、最初はとまどっ ていましたけれども、ある程度要求を受け入れられ答えられるようにはなっていたということはあります。ただ個人差があるんで絶対とは言えませんけど。私の 数少ない経験からするとそんなことがありました。それでこのデータは大変ありがたかったんです。これを学生に示すとそんなにあせらなくなるんですね。もし くは保証人の方たちにガイダンス時にこのことを説明すると、少し落ち着かれるんですね。そうでないと2年でなんとかなると思っちゃうんですね。無茶です よ、無茶……。

■カリキュラム
 それから3つ目。今度はカリキュラムに関する、指導方法に関する問題なんですけれども、見ていただきたいのがある新人戯曲賞に関する資料。これは戯曲賞 の第一次審査のもので、もう数年前のものですけど、名前が出たりするとまずいんで消してあります。それで一次審査というのは2人で見て「これ!」というの があれば○をつける。「うーん、どうしようかなー……」というのは△をつける。とくに数についてはいくつということはないですけど、あんまりやたらベタベ タつけないです。まぁ2~3かな。そうしますとここのAの方は3つしかついていません。だいたいこの時点で1人あたり39本読んだことになるので、このA の方は39本読んだうち△が3本。それでもう1人の方は1本に絞れないから2つ△。2人とも△が重なってない。活字になった戯曲ですよ。一般的に我々は活 字になった戯曲ならそんなに判断の差異はないだろうと考えがちです。でも審査する人が推す作品はそれぞれまるっきり違うんですね。つまり表現に対する評価 がいかに個人差があるかということなんですよ。これが3つめのカリキュラムの問題に関わるわけです。

■桐朋では
 それでまず桐朋はどんな具合にしてきたかということがあります。決して悪口ではございませんので事実をお話していきたいんですけれども、「桐朋のあゆ み」ということで、先ほどお話しました通り桐朋学園の中は3つの部門に分かれていまして、男子学校、音楽学部、それから女子部門があって、女子部門の中に 幼稚園があって小学校、中学校、高校、そして短期大学部があります。比率としては男子部門はだいたい2500ぐらい、女子部門で3700強で、短大は 500ぐらいなんです。それで幼稚園が80、小学校が720。高校が1050、中学校が900ですから、中・高部門で今一緒になっていますからここが一番 大きい。つまり学生の人数に比例して教員の数がありますから。ということは短大は数からすると小学校と幼稚園の間に位置しているわけです。
 当初1966年に安倍公房さん、田中千禾夫さん、千田是也さん、もうお亡くなりになった方たちがつくられているんですけど、どうしてそういう初期のそう そうたるメンバーがやってこれたのか、つまり最初の経営の問題からいきます。1人専任を雇うというのは大雑把に計算すると1000万円。学生の授業料が 100万とすれば10人の学生。だけど当初はそんなに学生はいないですよね。40人くらい。それでやっていたわけです。ということはどうもボランティア的 に、一生懸命熱意が支えていたということがあるようです。そのカリキュラムについては、俳優座の初期のカリキュラムがどうだったかというのは『演劇人』2 号にも出ています。それでその俳優座養成所の設立主旨のところに入っているんですよね。「国家そのものが着手解決せねばならぬ課題であり……」と。だけど そんなこと言っていたらいつまでたってもできないから我々がやっちゃうんだということが謳ってあるわけです。そのときの試験というのは、朗読、パントマイ ム、作文、口頭試験、常識問題、音感、リズム感、身体検査等々。それで養成所でやられていたのは文化史、日本文化、音楽史、および鑑賞、心理学等々です。 それが1966年に桐朋に移ります。
 では学生がどんなふうにカリキュラムをやっているのかという基本コンセプトをお話します。
 だいたい今演劇専攻は基本的には3つありまして、1つは本が読めること。文学的な読解じゃなく演劇的想像力として読めるような能力ですね。それから2つ めは表現媒体としてからだを鍛えること。その想像力を具体的に表出できるような肉体訓練です。それから3つめはアンサンブルがとれる俳優であるというこ と、集団性ということ。その3つでいくんですけれども、1年前期はなにしろ今は自覚をきちっと持たせる、つまり実技の授業をなぜしなければいけないのかと いう自覚を持たせる期間として、専任が2コマずつ持つわけです。週に2回持ちます。課題を出して、夏の実技発表と称してそこまでもっていって、つまり舞台 の怖さを教えるということですね。別の言い方をすれば、今まで舞台なんか立ったことのない者に舞台に立たせる、そこまでどういうプロセスがあるかというこ とで、それぞれの先生から課題が出るわけです。それが前期ありまして、それから日舞、マイム、等々の実技のコースが1年生の後期、2年生の前期と続くわけ です。2年の前期のおわり、夏に実技の公開発表会があります。狂言、日舞、タップ、モダンバレエ等々ですけれども、公開発表します。それを受けた形で秋に 試演会をし、卒業公演ということになるわけです。これが流れです。
 そういうような流れをどういう具合にやっていくかというと、資料の日程表のようになります。それで先ほど言った試演会等々のケイコはこの授業時間外で す。土・日を含む、つまり授業時間の中に組み込んでないんです。それで香川さんにも試演会の演出をやっていただいたんですが、「ひどい、何考えてるんだ、 桐朋は」とお叱りをうけたんですけれども、これでやっているわけです。単に授業に出ていればいいというものではなくて、実技系ですのでどうしても課題が出 ます。これが最初は1年生のときはそんなに負担ではないんですけれども、2年生になってきて時期的にたまたまいくつか重なったときには地獄のようになるわ けですね、学生にとっては。そういうことがあって実技発表だとか試演会だとかへて2年間です。内容的には3年分になってしまいます。
 これがだいたい1週間の学生の動きです。もちろん座学もあります。例えば声だとか演出論だとか演劇史等々。短大の総単位数70単位、共通科目を10単位 以上、専攻科目56単位以上、自由選択科目4単位以上ということです。それで何とかせざるをえないというのが現状なわけです。
 次に、年間行事の一覧表をちょっと見ていただきます。4月に始まりまして、6月の末には専攻科の公演があるんです。ですから年度が始まると同時に担当の 先生の発表があってそれでゴーなわけですね。それでもやっと2ヶ月とれるかとれないか。それを授業外でやります。土・日含めて。7月の中ごろには実技の発 表会が3日間ある。7月の中にあるというのは1年生の後期からやってきて1年間ですよ。ということは半期授業回数が13~14回ですからたいして回数はな い。それでも発表のところまでなんとかもってくるんです。それで夏休みになって9月に1年生の合宿があって、昨年ですと専攻科生の富山公演が入ってその専 攻科生の実技発表があります。この実技発表のための稽古期間もここです。後期の授業の開始は10月の頭で、なんと11月の末には専攻科の公演があるんで す。ですから10月に始まってキャスティングしたとしても1ヶ月半。キャストがスタッフの仕事もやりますから、ということはその試演会期間の1週間前に なって舞台仕込を自分たちでやるということは、この上演1週間前は稽古にならないわけですね。それが11月の末に2つ入ります。12月の頭のところで5・ 6日と入って、ついこの間11・12が終わったばっかりです。あと残りの集中の補講期間があります。1月に入ると後期のテストがありますけど、2月には専 攻科の修了公演をやり俳優座でやる演・の卒業公演が同じ2月にくるわけです。あと一般入試などがあり、3月から海外研修があります。
 これを専任4人で引き受けるわけです。試演会を担当される演出家の先生方については一線で活躍されている方をお願いするのが原則になっております。ただ し学生が相手なものですから、ご自分でグッとおさえていける人でないと困る。ただし専任は年1回試演会をもつということになっております。以前にもあった んですけれども、劇団の主役の方が倒れられて急遽稽古をするということになると、「岡安さんごめんなさい。できなくなりました。」と簡単に電話1本かけて くるんですね(笑)。その場合には急遽他の方をお願いしても時間的に無理。そういう場合は専任が担当するというような、もう地獄の桐朋でございます。それ から演出家の先生方の名前発表等は、だいたい年度始めにはいたしません。というのは、その方のスケジュールが変わってしまうこともあるから年度始めにやっ てもしょうがないんですね。「もう少し待ってくれる?」って感じでギリギリまで待つというようなことがあります。それと学生は60人から入れていますので 60人を1人で相手にするわけにはいきません。ですから半分にいたします。その分け方は機械的です。これは組分け発表のときに、つまり演出指導される先生 が来て「歌がうまいからあの子ほしい」といってもそういうわけにはまいりません。ちゃんと学生にはわかるように「こういう具合に分けました」というのを掲 示します。奇数番号で分けたり、偶数番号で分けたり。これがだいたい年間のスケジュールということになるわけです。

■今後の課題・展望
 それで、どうありたいというのは文化政策推進会議審議計画という1992年に出されているものがあるんですけれども、それには当時委員の渡辺浩子さん、 鈴木忠志さん、山崎正和さん、有馬稲子さんだとかそういう方がいて、そこではっきりと「一般に芸術家の養成においては実技を中心とした小人数を対象とする 専門教育が重要である」なんてことが出ているわけです。誰が言ったってそうに違いないんです。要は一番最初にお話した経営の問題がでてくるということです ね。
 今困っている問題とすれば、やっぱり非常勤の先生は一線で活躍されている方に来ていただきたいということがあって、なんとか来ていただくんだけど忙しく て休講になってしまうということなんです。学校経営というのは基本的に言えば非常勤の先生方の支えで成り立っているもんですから、頭を下げて「なんと か……」というぐあいに、お願いするしかないんですね。
 あと出口については、以前は桐朋学園は俳優座に入る、入りたい……ですけど今地方から来た学生で御三家の名前なんか知らない人が多いというのがずいぶん います。俳優座を知りません。「民芸? 民芸館なら」っていう……。文学座だとマスコミにのったりなんかするもんだから知っているんですけれども。という ことは、いわゆる「ここに入ればこうなる」、宝塚ではないですけれども、そういうのがない。その目標というか出口のところが多様です、今は。私が学生から アンケート集めると知らないところの名前がやたら出ます。それから声優の人気がすごい。ですから出る先というのは非常に多様化しているっていうことです。 ですからこの目標のところですね、桐朋で言いますと、出てどこへ行くんだ? 逆に言うと出てどこへ行ってでも、有効なカリキュラム作り、例えば日舞、狂言 は以前は必修でしたが、今はこれは外しました。外したかわりに選択科目としてタップであるとか他のものを増やしました。だから取る気になる者はどんどん 取って自分のものにしている。必修だとどうしても先生方は気持の上でできない子をなんとかしたい、そっちに労力をとられてしまうんですね。そういうことが あって、選択にして、落としても他のがありますから、「この子! っていうのをどんどんしごいてください。」みたいに今はしております。その分だけ先生も 厳しくなります。それで桐朋でいうと、出たところでどうしていくか。例えば国立演劇学校をつくれば国立の劇団ができましょうから、それが国立劇場でもなん でも使って……つまり先があそこだ、ああいうところでやりたい、いろいろ演出家の下でやりたいみたいになってくるだろうと。それで俳優座との線というのは 以前は特別なというか別枠の試験があった。だけど何年も前から特に桐朋生じゃないととらないということはなくなりましたし、俳優座自身が養成所をつくりま した。これが2番目の問題としてあります。
 それからもうひとつカリキュラムに関する問題なんですけれども、いわゆる百科事典みたいに並べるのも違うんじゃないかなというところがあって、つまり表 現に対する評価が異なるわけですね。ですからそれを学校という制度の中でどうその基本的な軸、どこを軸としていくのかということが問題じゃないかなと思い ます。表現されたものに対して、先生によって評価のしかたは全然違うわけです。ですから例えばどなたかを中心に据えて、その人のもとにひとつカリキュラム を組み立てることが必要ではないかと考えますね。学生のほうもある基軸がないと困るわけです。先生それぞれコンセプトが違うわけですから……。
 それから桐朋がいわゆる芸術科でくくられている学校だとやりやすいんですけれども、要は幼稚園から同じ敷地にあるわけです。そうすると一般の大学なら学 生がしても当たり前なことが当たり前ではないということがあるわけです。だけどこれを逆に返すと、運動能力が今非常に落ちていますから、早いうちからいわ ゆるそういうコースでもないですけど、流れみたいなものをつくった場合には非常に可能性が大だと思うんですよ。だけど口で言うほど簡単ではありません。演 劇のためにすべてなんてね……。
 だいたいこれが抱えている問題というよりも今私の感じていることです。ではゼミ形式にしたらどうか……それを千田是也氏他の先生方が試みたそうですが、 今度は学生がセクト的になっってしまうそうなんです。認めなくなるわけですよ、お互いに。競争がねじれちゃう。それはダメだということになったわけです ね。
 あとカリキュラム関係で言えば、「だめだ、やめろ」と言うことができない。本当ならば入学時70人入れても、3ヶ月ごとに10人ずつ切っていきたいわけ です。極端な言い方ですけど。つまり我々も限られた空間と限られた労力しかないわけですから……。でも財政が許さないんですね。
 それとあともうひとつ、これは私個人の考えですが、集まった人数を3分の1ぐらいずつに割ったときに、今までの民主教育みたいな流れでいうとどうしても 下をなんとかしようとする。だけど下を相手にしていると上のほうが腐ってきます。ひとつおもしろいエピソードをあげれば、千田氏が試験を行うときに「一番 良いのと、一番悪いのをとれ」と。そうすると一番悪いのが変な発想とユニークなものを持っている場合があるんですよ。優秀だからいろいろ言うこと聞いてや るんだけど、それ以上どうしても伸びない。そういうことがあるんですね。
 それで一番最後の指導方法のことについて言えば、いわゆるお互いに授業をどういうぐあいにやっているかを公開し、研究し、「私はこうやっている。それに ついてどう思うか。」つまりお互いどの範囲でどういうレベルでやっているのかがわかっていれば、そんなに困らないとおもうんです。だけど今の桐朋では各先 生方にお任せしているから、非常にわかりにくいところがありますね。それでいろいろな授業がすこしずつオーバーラップしていくぶんにはいいんですけど、こ れはややもするとオーバーラップがなくなっちゃって、隙間になった場合に怖いです。つまりどこかの知識なり技能がすっぽり抜けちゃう恐れがありますね。
 だいたい私のほうのお話というのは以上でございます。また何かあればいろいろご意見なりご批判なりいただければとおもいます。

(1999年12月14日、日本演劇学会「演劇と教育」研究会にて報告。)