近畿大学の場合(菊川徳之助)

■ 文学部であって芸術学部ではない
 近畿大学文芸学部芸術学科演劇専攻の菊川と申します。
 まず、文芸学部芸術学科といいますのは、文部省では文学部であって、芸術学部ではないんですね。文学部の中に演劇がある。何が違うかというと、 まず文部省的にいえば、芸術学部だと、例えば演劇だったら舞台があるとか、レッスン場があるとか、施設の制限というか、しなければならないのですが、文学 部だとふつうの教室があればいい、そういう違いがあります。非常に施設面で不備で、学校が演劇にあまり金をかけたくなかったらかけなくていい、文部省から 怒られないんです。さきほどいまのカリキュラム上も、授業が、実技がたくさんないと困るということは全然ないわけです。そういう問題があるのですが、ただ つとめている我々としては、その芸術学部と同等の演劇教育をやりたい。そこで学校当局と施設の面のことなどでいつも交渉が必要になっているしだいです。
 関西では大阪芸術大学に舞台芸術学科というのがありますが、これは芸術学部です。また今度4月から京都造形芸術大学というところに演劇・映像 というのができますが、それも芸術学部のなかです。うちはそういう意味ではすこし変わっているというか、中途半端なところがあります。だから教育方針とし てはわたくしどもは「演劇による人間教育」というふうに一応基礎前提としてはなっています。それから演劇専門家を育てる専攻ではない、ただし演劇専門家が 育ってもいいというふうな、非常にごまかしみたいなのですが、演劇教育という、演劇という手段をつかった人間教育をするということです。ただし最近演劇専 門家を育てるというコースに変えたいという希望が先生のほうから多くなりました。なぜかというと、近大の教壇に立たれている先生方というのはみんな現場の 劇作家であったり、演出家であったりするわけなので、演劇の教師がほとんどいません。だからどうしても演劇専門家を育てるという授業しかできないというよ うなことで、そのへんに最近非常に悩みがあります。
 演劇コースはたくさんの問題がありますが、今日はそのいくつか代表的なことだけをご報告したいとおもいます。

■ 入学時の問題
 入り口のところでは、受験生の問題がありまして、いま言いましたように、「演劇による人間教育」をやるところですので、必ずしも演劇をやりた い、つまり俳優になりたい人がくるわけではありません。俳優になりたい人はほとんど、関西の場合は大阪芸大、東京ですと日大とか桐朋などに行くわけですけ れども、うちを受ける人はだいたい玉川とうちを受けている人が多いようです。それで俳優になりたい人は3分の1、今までとは違った体験をしたいという人が 3分の1、あとの3分の1は大学ならどこでもよかった、とにかく大学に入りたかったのでという理由で入ってきます。入試科目もふつうは3科目の試験があり ますが、演劇の場合は英語と国語の2科目の試験と実技です。だから1科目少ない。大阪芸大では推薦の場合は実技だけで入れていらっしゃるようですが、うち は推薦から全部英語と国語と実技の試験をやります。それでたいへん困っているのは、必ずしも演劇をやりたい人がくるわけではありませんので、俳優になりた いという人、あるいは照明家になりたいという人だけが来るわけではなく、来る学生にばらつきがあります。非常に熱心にやる人と、楽しんでやればいい、4年 間楽しければいいという学生もいますから、どこに向かって教育していくかということが、たいへん教員が苦労するところです。それからこれは受験のときに一 番頭が痛いのですが、高校以下にほとんど演劇という環境がありませんので、大学で初めて演劇を志望するという学生がほとんどです。能とか狂言とか歌舞伎の 人たちは子どもの頃からそういう環境があって育っているわけです。宝塚でも受験生はほとんど中学卒業です。大学演劇の場合は18歳の大学生になって初めて 演劇をやるという受験生がほとんどですので、そうした新しく始めるということが大きな課題で、やはり小学校とか中学校とか高校からやっていただいたほうが いいということがあるとおもいます。ただひとつ、演劇部出身の学生がたくさん受けます。実はこれは結果的に落ちる人が多いんです。なぜ落ちるかというと、 残念ながら高校以下の演劇は正しい授業がおこなわれていない。つまり顧問の先生方はたいへん熱心にやっていらっしゃるのですが、わたしのところに受ける学 生はなぜか間違った演劇を身につけてきている学生が多いんです。個人的には演劇部に入るということは演劇が好きな学生ですから、そういう学生に入学しても らいたいですし、将来彼女や彼らは俳優になりたいと希望するのが非常に多いですから、そういう人に入学してもらいたいのですが、残念ながら実技テストでは 落ちる確率が高くなります。それはへんな癖があるとか、もうその癖がとれないとか、演劇を間違って理解しているとか、いろいろなことがありまして、できる だけなんとか拾える人は拾って入っているのですが、残念ながら涙を呑んで仕方なく落としている部分もあります。もちろん素敵な人もいます。そういう問題が ひとつあります。これはやはり小・中・高に演劇がないということ、熱心な先生方がいらっしゃるにもかかわらず、専門的な演劇の教育を受けた先生がいないと いうこと、そういう問題があります。

■ 卒業時の問題
 卒業するときですが、まずみんな就職しません。わたくしのところは、1学年50名でして、今年からちょっと変わったのですが、今まではコースと いうのはなく、演劇専攻に50名に入ってもらっていました。そのうち就職する人は10%ぐらい、それは会社に入ったりで、あとは家業に残る人と、それから 劇団へ行く人も多少いますが、ほとんどフリーターです。就職しません。まだ卒業しても学校のまわりをうろうろうろうろしております。これは非常に困るわけ で、就職部からはにらまれる位置におります。たいへんな問題なんですが、就職をいたしません。それは芸術する人は昔からそうなんですが、まず就職をあてに してきている人も少なく、もちろん学校にきたら俳優になれるとおもっている学生もおりますが。
 それからもうひとつ、卒業しますと外国なら演劇大学を出たら劇団へ入れるわけですが、日本の場合劇団へ入れません。俳優座に入ろうとしても養 成所へ入らなければならない、青年座に入ろうとするとまた養成所に入る……。そうすると大学4年間授業料払ってきた学生がまたその養成所へ行って授業料を 払わなければならないし、大学で習ったようなことをまたしなきゃいけない。一からしなきゃいけない。だからまず劇団の養成所へ行きません。行っても2~3 人です。どうして演劇大学を出たのに劇団には入れないかというのはわたしたちも非常に頭の痛いものです。劇団と交渉しましても、「うちの養成所で鍛えなお してもらわないと入れない」というのが劇団の意見です。どうしても劇団に入りたいという人は無料の劇団養成所を探します。だからいまの俳優座とか劇団四季 とかですね。無料のところへ入ります。それならばもう1回養成されてもしょうがないといって行くわけです。学費払ってまでは行きません。それから演劇専門 で食べていきたい人は照明とか音響をやる人はすぐ就職があります。しかし俳優志望者がなんとなく卒業するときに多いので、先ほども言ったようにフリーター になります。これはいまはもう卒業生で劇団をつくる以外ないなというのが結論です。ただ劇団をつくって食べていけるのかという問題がありますが、やはりそ れでもフリーターをして劇団をつくる、そういう卒業したときの、もちろんわたしたちのコースは演劇専門家を育てるだけのところではないわけですから、観客 で生きていってもらいたいとか、あるいは例えば行政に入って文化担当をやってもらいたいという希望が強いものですけれども、なかなか就職はできないし、し てくれません。もちろんそういうところに就職している者も数はまだ多くはないですがおります。例えば兵庫の財団につとめたり、そういうものがちらほら出て きています。それから地元の劇団にすこしずつ入っています。地元の劇団も養成所をもっているところは入れてくれませんので、どうしても小劇場演劇です。小 劇場演劇の場合は直接入れてくれますので。ただ日大は50年ですがわたしたちは今年で11年目です。卒業生が最初に出てから7年しかたっていません。そん なに活躍はしていないのですが、ぼちぼち地元の劇団の俳優として自立していっている人もでてきています。もちろん東京の養成所に入ったり、俳優座に入って いる人もいますし、円とか昴とかの養成所へ行っている人もいます。ただ全体としてはなかなか就職がないので劇団をつくるしかありません。先ほど日大のほう で大学演劇があまり演劇界に新風を吹いたり、演劇を動かすようなことがないというようなご発言がありましたが、大阪の場合は小劇場演劇の中心は大阪芸大の 出身の人たちによるものです。これは南河内万歳一座、新感線、それから太陽族というのがあります。これはいま大阪では中堅の劇団で、非常に成果をあげてき ています。それから例えば維新派の場合は大阪教育大学の美術を出た人が中心です。そういうところへうちの学生も入って維新派で活躍したり、太陽族に入って 活躍したりというのがあったり、自分たちで劇団をぼちぼちつくっております。ただ食べれるというところまでいっていませんが、集団はできています。また、 あとでカリキュラムのところでも申しますが、うちの場合は演技の基礎と舞踊の基礎が中心になっておりまして、舞踊家になる人が出てきています。劇団ではな くて舞踊集団をつくるという動きがあります。これも食べていけませんから、どうしてもフリーターになっていくというのが中心です。

■ カリキュラムと学生の現状
 入ってからの授業のことですけれども、先ほどいろいろ議論がありましたけれども、まず教育としては演劇専攻としての教育システムというのはいま のところありません。創立してから教員のスタッフでまず10年ぐらいは教員の考えで授業をすすめていって、そこで議論しようということになっていまして、 例えばルコックをやっている先生がいらっしゃったらルコックシステムでずっとやっていらっしゃるとか、あるいはダンスでしたらラバンを研究してらっしゃる 先生がラバンの舞踊をつかってやってらっしゃるとか、そういうふうに各個人の、先生の個性にまだまかされています。ただし先ほど実技の授業が週に1回とい うことがありましたが、たしかに大学の授業というのは週に1回ですが、ただし実技ですとわたしたちのところでは担当者は違うのですが、月曜日から金曜日ま では何か演劇の実技があるようなカリキュラムにしています。ダンスのほうは演劇よりももっと厳しくて授業は少ないのですが、毎日稽古はしています。朝か昼 間にダンスの先生がついて基礎訓練をしています。それからカリキュラムの上では演劇発表会が中心でして、まわりに基礎訓練があって中心には発表会があると いうふうになっています。前期と後期、各1学年2回ぐらいの発表会があり、それに活動がつくのですが、実際に稽古をするのはうちの場合も夜です。そうする と先生がずっとつかなきゃいけない。そういう問題があります。これはたいへんな問題ですが、先生によっては学生に自主的にやらすとか、あまり自分がつかな くていいようにするとか、そういう意味では工夫はしていますが、卒業公演などは先生はつきっきりです。先生が演出する場合と、学生が演出して先生が指導に あたる場合の2種類に分けています。先生が演出の場合は先生が夜ずっとつかれているし、学生が演出し先生が指導の場合はポイントポイントで先生がみていま す。
 1学年2学年は演技の基礎と舞踊は必修といいますか、どうしてもとらなければなりません。そのダンスも芝居もやったことがない人間たちがダン スをやらされてびっくりするわけですよ。タイツをはかされただけで恥かしがるというような、そういう現状です。そのうちだんだんおもしろくなって、4年卒 業するときにはダンサーになるという人が出てきています。
 実はいろいろ試行錯誤がございまして、いままではひとつのコースで照明も演技も全部やらせるというのが趣旨でした。あるときは照明係、あると きは役者についたり制作についたり、あらゆる役割分担をし、いろんな体験を4年間でするというのが趣旨でしたが、今年の1年生から演技コースと劇作理論 コースの2つに分けまして、それはひとつは劇作家がなかなか生まれなかったものですから、どうしても劇作家を生みたいというのがあります。劇作家が生まれ ないと劇団ができない。書く人がいないとどうしても劇団が生まれない。大阪芸大出身の人たちが劇団をつくると必ず劇作家がいるんですね。なぜかうちの演劇 専攻はまだ劇作家がいないものですから劇作コースというのをつくりまして、今年の1年生から劇作、創作をやらす、そういう4年間かけて創作をやらすという コースをつくりました。それは将来学生の劇団をつくりたいということです。ただ入り口のところで学生の熱心さには落差が非常にありますので、これが50人 を同じ熱さにするということは不可能です。それで授業がアンバランスになっている。そこで、まだこれはできていないのですが、例えばクラス分けをすると か、そういう問題が将来あるとおもいますし、同時に熱心な人、熱心でない人をどう分けるかという問題も起きてきくるのではないかとおもいます。
 ただ演劇が専攻は50人がひとつにまとまりますので、こんなににぎやかな授業はありません。それでよその専攻の学生がとれる授業もあるのです が、演劇の授業に来ますとよその学生はびっくりします。学生どうしがわいわい騒いで仲良くやっているので、とにかく演劇はやかましくて汚くてかなわない と、学生と先生がこっそりどなりこんできます。もちろんわたしなどに会ったときには「元気がいいですね。演劇の学生はうらやましいですね。」と言うのです が、事務局へ行けばやかましいと言われます。ただし他の専攻の学生はだいたい3人ぐらいの友達なのですが、演劇専攻は20人、30人単位で友達になってい ますので、演劇というのは、なんといいますか、人間を育てる授業としてはたいへんいい授業ではないかとおもいます。それからこれはわたしが兼ねがねおもっ ているのですが、日本では高校までなぜか人間を考える授業はないわけですね。例えば具体的にいうと哲学という授業は大学からしかありません。演劇で人間の ことを考える、大学に来て初めて考える――そこで人間のことを実際に演技をやりながら考えていくというのはこれは素敵なことで、演劇専攻でなくても、各ふ つうの学校に演劇教育があっていいのではないかとおもいます。
 カリキュラム上で一番頭を痛めておりますのは先ほどと繰り返しになりますが、授業時間以外でやらなければならないということです。つまり先ほ どおっしゃったように、週1回では足りませんし。できません。そうすると余った時間あるいは夜、たいてい6時30分から9時30分まで、遅いときは11時 30分頃までやります。たまたま近大は二部がありますので、夜遅くまでやらせてくれます。先生がついていれば徹夜してもいいというようなかんじです。照明 の仕込みとかそういうのは徹夜でやりますので、そうすると泊り込んでやりますから、布団は持ち込むは、シャワー室はあり、風呂代わりに使いますし、クー ラーもありますから夏は下宿に帰るよりも稽古場で暮らしたほうが快適なんですよね。それで最初はふつうの建物の中にあったんですが、そこにあると他の授業 ができませんので、文芸学部の新校舎が出来るときは、演劇のレッスン場はその中につくってもらえませんでした。
 最近は学生が自主管理するということがでてまいりました。学生が自主管理して各学年が学生自主管理室から貸し出すという、そういうたいへん演 劇に熱心になってきたかどうかわかりませんが、前後期の公演以外、学生はどんどん自主公演をやりだしまして、これは授業に参加しない学生も外で公演をやっ ています。それで外公演まで機具を貸すということにしていて、在籍している学生にはサービスします。自主管理委員会で機具を借りることができるのですが、 最近は自主管理委員会の学生が権力をもち、今度は権力をもつ学生と権力をもたない学生でけんかになるという問題も出てきましたが。そうして自主管理いたし ますと、さっきも藤崎先生がおっしゃったように、学生が携帯電話を学生どうしで絶対鳴らしません。学生間の統制というものがものすごく厳しいのです。先生 が言っても聞きませんが、学生間の統制というのいは授業に遅刻してもすごく厳しいんですね。これは携帯電話のいいところですが、携帯電話で全部呼び出しま す。「授業に来ていない、どこにいるんだ。」たいてい寝ているんですね。それで起こします。「すぐ来い、すぐ来い。」制作がどんどん授業中にかけまわり、 全部出席するようにします。携帯の裏技……。いままでなかったことです。
 演劇のカリキュラムとしては、では例えば演劇の基礎訓練というのは本当は一体何がいいのかわたしたちは暗中模索しています。ルコックなんか やっておられる先生はもうルコックシステムがちゃんとありますから、それをカリキュラムにしたがって4年間やりますから、それはそれでいいのですが、結局 教えられているのはほとんど西洋のものです。そこで「日本人にあうのか」という先生がでてくる。西洋の音楽やダンスをやったり声楽をやったり、つまり横に 広がっている、それが自分のものになるのか。日本でしたら例えば三味線であっても謡でも1曲あげてつぎの曲にという縦の教育方針です。そういう段階的方針 というか、あるいは日本人の身体にあう授業というのはないのか、そういう問題が出ておりまして、11年目にきて、わたしなどはたいへん悩んでいるところで す。

■ 一般科目としての演劇
 これはすこし余談になるのですが、わたくしの個人的な経験では他の学校で非常勤で呼ばれて行っております。それは演劇専攻では全然ない、演劇という科目があるだけの学校です。ある学校でわたしはそこで「演劇論」という授業なのですが、「実技をやってもいいか」と言ったら「いい」ということで実技をやっております。そうすると一般の大学生がびっくりするのです。つまりからだを動かす授業というのが体育以外ないので、学生はびっくりして、こういう授業っていうのが本当にあるのかというかんじで、身体感覚をみんな失っているわけです。法学部の人も工学部の人も受けるわけです。ただ、ある学校でたいへんおもしろいことに、広いフロアの教室がないんです。全部机と椅子が入っていて、その机と椅子は全部釘付けなのです。動かない。なぜかというと学生運動が起こりまして、そのときにみんな机と椅子を持ち出したのです。そうすると今度は大学が学生運動が起こっても机・椅子は釘付けにして動かせないようにしたのです。それでフロアの教室がないのです。わたしの授業はフロアの教室がないとやれません。唯一実習室というのがあって、でも、机も椅子も持ち出せないような 重い重いものなんです。それを学生とよいこらしょ、よいこらしょと立てて、いま授業をしています。その「身体教育」ということが、もっとでてきてもいいのではないかと、そういうふうにおもうのですが、学生にとっては、人間のことを考える、しかもグループ行動ができてそして身体を動かせるということがたいへ ん評判のいい授業というか、たいへん興味をもっているようです。

■ 大学における演劇の必要性
 インターネットの時代になってまいりますので、これからはみんな画面を見て育っていく生徒がほとんどです。では生身の演劇はどうなるのか、そう いう心配があります。また将来の大学演劇の、「演劇の知」と申しますか、演劇のもっている複数性、共同性、受容(パトス)性とかそういうものを、人間の世界を提出して、そしてみんながそれを考えたりするという、そういうのは本当にいい学問なり授業になるとおもいます。だからむしろ一般大学なんかには演劇の授業が増えていただきたい。幸いあちこちでぼちぼち増えておりますけれども、本当にまだわずかなのです。

(2000年1月30日、日本演劇学会「演劇と教育」研究会シンポジウム「高等教育における演劇」にて報告。)